The beat goes on -

フリーライターのブログ。三児の母。FWAフリーライター協会代表

手前味噌と環境ホルモン

日曜に、子の通う保育園で味噌作りをした。

 

参加を希望する家族は事前に作りたい量を申告しておけば、当日材料と煮大豆を用意しておいてくださる。改めて、なんと素敵な保育園!

うちは初参加なので4キロのみ。他のご家庭は、8キロとか12キロという量を作っておられるお家もあった。

 

米麹をぱらぱらほぐし、塩を混ぜ、大豆をフードプロセッサーでぐるぐる滑らかにしてから投入し麹に混ぜていく。全体が混ざったら、ハンバーグより少し大きめの玉を作り容器に投げ入れ空気を抜く。

最後に表面に塩して、ラップ&重石を乗せて終了~✴ 

半年~寝かせれば、美味しい手前味噌の出来上がり。

 
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正直に言うと、「え、こんなに簡単に作れるの?」 と驚いた!

味噌なんて和食の基本中の基本調味料なんだから、学校で作り方教えるとかしたら良いですね。

無添加の安心安全な味噌、4キロなら30分の仕込みで(大豆を煮る時間含めずだけど)出来てしまった。

毎日食卓に並ぶお味噌汁の味噌、子供が手伝って作ったものなら嬉しいよね。

 

パン、ピタやトルティーヤ、ご飯。人々の生活を支えてきた食べ物はシンプルな工程で出来ているものが多い。

食べ物がどのように出来ているのか、それを知ることが食育の第一段階。できないご家庭もあるだろうから、学校教育でフォローしてもらいたいものだ。

 

ちなみにプロセッサーがない場合は、すりこぎで潰すそう。これは大変。

なのでプロセッサー様様ですね(鍋にバーミックス突っ込んでもいいかも!)

 

 

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さて、保存容器について。

味噌を入れたあとに重石をしてから蓋をするので、ある程度大きめの容器が好ましいとのこと。

イケアで買った大きめのタッパー3つ持っていったけど、浅くて使い物にならず。結局、米びつに使っている野田ホーローの容器を使うことにした。

 

そこで、ふと考えたのだ、

味噌は半年以上寝かせることになる、塩分などが原因で、ヘタな容器では変なものが溶け出してくるのでは?と。。。

さらに。

今までタッパーのようなプラスチック容器をレンジにかけたり、短期間であれば食品保存に使ったり普通にしていたけど、果たしてそれらは安全なのか?と不安にかられ、色々調べてみた。

 

 どうやら、家で使っている保存容器はBPAフリー(環境ホルモンが出ない)ものが多いようだった(イケアの容器も激安だけどきちんとBPAフリー、さすがヨーロッパ)。けれども、炒め物を解凍したり一時的に高温になることが多かったのではないかと考えると、安心してはいられない。しかも5年以上使っているものがほとんど。

 

かといって、耐熱ガラスの容器は、まだまだ子供が小さく勝手に引き出しから出して遊んだり投げたり(汗)するので、取り出しやすい場所には入れられない。

 

加熱用と冷蔵用で容器を分けるのが理想的なのだろうが、この日々の忙しさでそれをマメに実行することが私にできるだろうか?

うーん、悩みは尽きない。

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結論として、優先順位は冷蔵用ホーロー容器と、ご飯冷凍用の耐熱ガラス容器、そして冷凍に使うのはなるべくジップロック。となりそう。

そして冷凍したものは、できれば湯煎? そこまではまだ無理かな~

何を冷凍するのか、そこから考え直さねばならないかも。

 

ホーローは高いけど、丁寧に傷つけなければ長年持つ。耐熱ガラスはそのままレンジにインできるイワキのもの優先。どちらもオーブンや直火に使えるのも嬉しい。

 

同様のことを鍋など調理器具についても考えていて、我が家のキッチンからテフロンが減ってきている。このことはまた、改めて書こう。

 

耐久性や安全性を考えていくと、こっちに行くんだね。

そのへん、意識高い人たちは当然!なんだろうけど、意識低かった私も改めて考えてしまったよ。

 

でもどうしても、レンジだけはまだまだ手放せそうにない。

 

鎮魂

6年前のことに思いを馳せます。
あの日亡くなったすべての方へ、祈りが飛んでいきますように。
あの日、愛する人を亡くしたすべての方が、1歩でも前を向いて歩めますように。
祈ります。

 

子供がいるからこそ、

今後も何があっても冷静な判断ができるよう、日々精進したいと思います。

子供の頭のなか

上の子が、昨日保育園で目に涙を溜めて、保育士さんに言ったんだそうだ。

 

「ママがノートと着替えとタオル、出すの忘れて行っちゃった。。。」

 

いや本当は、きちんと重ねて置いておいた(いつも自分で引き出しにインする)のに、見つけられなかったよう。

 

今朝、その話を保育士さんから聞き、なんだそんなことで泣かなくても。。。と思ったのだが、ふと思い直した。

子供の頃、私もこういう些細なことで不安が止まらなくなっちゃったこと、あった気がする。

 

子供の頭の中って本当にお花畑みたいなもので、ワクワクとドキドキに溢れてるんだよね。

酸いも甘いも知った大人は、ついそのことを忘れがち。

 

帰り道、歩道のタイルの黒いとこ踏まないゲーム(踏んだら地獄に落ちる)とか、赤いもの先に見つけたら勝ち!とか、急いで帰って夕ごはん作りたい私は思わずイライラしてしまうこともあったけど、

子供の毎日はそんな楽しみと驚きで溢れているべきで、大人の都合や常識を押し付けてはいけない。

 

私の思い出。小学校からの帰り(確か1年生)、寄り道に寄り道してトイレに間に合わず、ちょっとだけおもらししてしまったことがある。あと1つ角を曲がればうちなのに、間に合わなかった。

そんな些細なことも、あとで親に怒られるか心配で、すごーくドキドキしながら帰宅した。

帰宅後、怒られたかどうかは、覚えていない。

 

そんな失敗、子供だもの沢山あるよね。

もっと何というか、すべてをおおらかな気持ちで受け止めてあげなければいけないな、と、最近よく思う。

私たちが思うより、彼らの毎日はもっともっとエキサイティングで、楽しい毎日が永遠に続くような感覚があるんだろうな。

だからこそかな、不安や心配のコントロールが難しい。

 

毎晩、次男が寝てから長男は「ママ、潰れちゃうくらいぎゅーっとしてキスして!」と言ってくる。

長男なりに色んな我慢をしていて、そのリセット方法なんだろう。

安心して眠りにつく姿を見て、私も安心する。

 

子供は尊い

大人がお花畑を踏み荒らしては、いけないね。

 


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歯医者と妊娠

つい先日のこと。右奥歯が痛む。浮くような痛み。

ご存知の方も多いかとは思うが、妊娠中は口腔の唾液のバランスがかわり、虫歯になりやすい。

そのため、毎回のように歯がなんとなくムズ痒くなる。

 

でも、出来れば出産前に歯医者に行きたくなかった。

それは、6年前に妊娠中に歯医者に行って、苦い思いをしたから。。。

 

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当時、長男を妊娠中だった私は、今と同じくらい、確か妊娠6ヶ月だった。真夏の8月のある日、店の休憩中にのど飴をなめていたら、急激に奥歯にしみた。

その痛いことといったら!飴の有害成分(と思った)がふんだんに含まれた唾液が、奥歯の全神経に行き渡り、暴れまわってる。

 

何もできない、この世の終わりかと思う痛みだった。

そのときはうがいしたり冷やしたりしてなんとか収めたのだが、帰宅し、自宅に「妊婦歯科検診」の受信票があるのを思いだし、翌日に吉祥寺東急デパート近くの歯医者にかかった。

 

歯医者さんでは、お父さんらしい院長と息子らしい副院長が治療にあたっていたが、私を担当したのは院長。たぶん60代。

吉祥寺のなかでは経験豊富な人気歯科らしい。が、そのお父さんは私の歯を見ているあいだ、なんと私にずっと説教したのである。

 

説教の内容はといえば、妊娠中は麻酔やレントゲンができないから、歯を全部治してから妊娠すべきだろう、そんな計画性のないことで妊娠して大丈夫なのか?という主旨。

 

私はといえば、口を開けた情けない格好をしながら、ああ、ああと相づちを打つしかできず。

なんというか、今どきこんな医者っているんだなーと思って聞いていた。ひと昔前はいたのだろう。

まあ、早くいえば余計なお世話、歯科医にしてみれば正論なんだろうが、妊娠を計画するから先に歯を治す人なんて、このご時世いるんだろうかね?

 

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そんなこんなで歯医者に行きたくなかったが、日に日に痛みは増すばかり。仕方なく行ってきた。

生涯でこんなに歯医者に行きたいと思ったことはない、という冗談でも言えそうなくらい、歯医者を欲していた。

 

会社のすぐ裏に歯科をみつけ、評判を調べたらなんだか良さそうだったので早速電話。

受付の方の応対もよく、妊娠中であることを伝えると明るく大丈夫といわれ、安心して向かう。

 

さて、いざ、椅子に座ってみると。

先生は女性だった。しかも小池都知事くらいののおばさま。

 

なんだろう、今まで女性の歯科医にかかったことがないからか? 一瞬、不安に駆られる。

でも不安に駆られた直後、逆に「何故不安なのか」がわからなくなり、自分に問いた。

今どき、女性がダンプを運転していてもおかしくないのにね。治療への不安を理由に下らない差別するのかなぁ私。

 

自分、まだまだだなあと反省し、歯痛の運命を小池都知事に任せることにした。

 

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結局、以前治した歯の銀歯が減り、そこから隙間にバイ菌が入ったというシナリオだったらしい。

年度末の突貫工事みたいな応急措置が行われ、レントゲンも麻酔もなしでとりあえず1回目は無事終了。妊娠中だからといって怒られることもなかったし、なかなか安心感のある素敵な先生だった。

 

先生は火花の散る金属切断とかの時に被る透明のフェイスガードみたいの、ずっとしてて、かっこよかった。

まだ仮の蓋がしてあるだけで痛みも取れていないんだけど、ここなら続けて通えそう。

 

以下 待合室にあった書籍、谷川俊太郎「質問箱」より、心に残ったところ。(抜粋ではありません、本文はもっと、リズムがあります)

 

Q 大昔の人はどんなことで笑っていたんでしょうか?

谷川 赤ちゃんが笑ったら、まわりの大人も笑ったと思います。それに、なんとかのミコトがワイセツな踊りをしたりして、大笑いしたのではないでしょうか。

 

Q 祖父祖母に優しくしたいのですが、「長生きしてね」「元気で過ごしてね」などこっぱずかしくて言えず、素っ気ない態度を取ってしまいます。どうしたら言えるようになりますか。

谷川 あなたは祖父母を愛しているようですね。それは言葉で伝わるものではなく、あなたの素振りすべてから伝わっています。それに、優しくするのがこっぱずかしいというのは大切な感覚です。

 

Q 子が「お母さんが死んだら悲しい」と大泣きします。そんなとき、どう声をかけていいかわかりません。

谷川 あなたはすべてを言葉で伝えようとしすぎていませんか。

そんなときは、子をぎゅっと抱き締めて一緒に大泣きし、そのあと一緒にお茶しましょう。

 
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神様のもたらした天使 アル・ジャロウ


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Breakin' Awayを聞きながらアル・ジャロウページのポストを
読んでいたら、電車の中なのに涙が。。。
この投稿はまるでAl本人が書いたような、感謝と想いに溢れてる。

 

Al Jarreau、一度しか仕事できなかったけど、6日間12ショウの間、べったりとついて仕事させていただき、ことあるごとに感銘を受けていた。
神様のようにクリエイティブで、赤ちゃんのようにピュア。虹色の泉のような美しい音楽は、今聞いても、何度聞いても心がドキドキする。

彼の飛びきりの笑顔はあまりにも無防備に感じられた。私は、彼の心はきっとゆで卵のようにつるつるで、少しのことで簡単に傷ついてしまうのだろうと思ったものだ。60過ぎのおじさまなんだけど、守ってあげないと、と強く感じた。

 

安定したショウをやるために、楽屋に入ってからショウタイムまでの一時間半にやるウォーミングアップがすべて決まっており、誰もそれを邪魔することは許されなかった。
カイヨテというネイティブインディアンのパーソナルアシスタントがアルの全てを世話しており、アルの全てを守っていたように思う。

 

その後来日したときに、楽屋に挨拶に行ったら即座に私のことを思い出してくれたようで、呼び寄せあたたかいハグをしてくれた。そのときの写真がPCのどこかにあるのに、見つからない。あのときの温もりが忘れられず、また、アルとカイヨテに会いたいななんて、ついこの前の土曜に思っていたのだった。

きっと、さよならを言いにきてくれたんだなぁ。
世界の至宝アル・ジャロウ。あんなにマジカルなショウ、もう見れないなんて信じたくない。

https://youtu.be/otVH5cv9z1A

 

以下 オフィシャルページより。

To everyone who attended his concerts, and listened to his albums: He needed you, and you always were there for him, for more than 50 years. He was thankful for you every day, and did his best to show that to each of you. To his band, and to the many, many talented musicians, writers, composers, and arrangers who played and collaborated with Al over the years: You enabled, supported, and thrilled him. He treasured you, and considered you brilliant. He loved sharing the stage with you, and was honored that you shared it with him. To each promoter, presenter, and producer: Thank you for your faith in him. Your commitment to Al was both essential and endless, and he never took you for granted. To his agents, managers, crew, counselors, publicists, and journalists who supported his work, and also to all of the airline, hotel, venue, and other people who hosted him like royalty: He noticed every bit of the dedication and effort that you unselfishly provided, without limits. And, he appreciated you completely. To young people everywhere, especially the musicians he was grateful to meet at school workshops, musical competitions, residencies, and at concerts: From you, Al asks a favor. Please find any artistic thing that you can do with passion, and do it. With art in your life, you will be a better family member, neighbor, friend, and citizen. Finally, to Al Jarreau: Thank you Al, from all of us. You completed your ministry in a beautiful and gracious way. Godspeed… you’ve earned it. Team #AlJarreau

2017年のガンズと私

ガンズ&ローゼス 日本公演

2017.1.29 さいたまスーパーアリーナ

 

もうすぐファン歴30年になる。

でも自分にとってガンズの何が特別なのか、考えたことはなかった。

それを考え始めたのは、ライブ前日のことだ。

 

世の中には多くの音楽がある。私だって数多くのバンドを聞いてきたし、数多くのジャンルを聞いてきたし、星の数ほどのライブを見てきた。

 

そんな中で、たどり着いた。

ガンズを測るのに相応しいのは、【熱量】という単位なんじゃないか。

 

1988年11月、洋楽の詳しい友達に「MUSIC LIFE」という雑誌が面白いよと教えてもらい、小遣い1000円の中から700円を捻出して買ったMUSIC LIFE 12月号。

表紙のなんだか悪そうなお兄さんたち。悪いことしているような、大人の世界を覗き見しているような気がして、親に怒られるんじゃないかとビクビクしながら買ったものだ(買った雑誌はしばらく隠して読んでいた)。

その号は、ガンズ特集だった。読めば読むほど破天荒でめちゃくちゃなメンバーの素行や、発言の内容がよくわからない酔っ払いのインタビューがたんまりと掲載されていた。中学にやっと慣れ羽を伸ばし始めた自分には、なぜかそれが次に開けるべき扉のように思えた。

 

そして、12月。新宿の駅構内にあった小さなレコードショップで、当時レコードもCDも高価で買えなかった私は「GN'R LIES」と書かれた輸入カセットテープを買った(ちなみにAppetite for Destructionもずっとテープで聞いていた)。

 

それから約30年が経つ、そう思うとクラクラする。

当時の幼い自分はもういないし、当時の破天荒なガンズももういない。

ただ当時も今も、ファンとガンズの間に爆発的に流れる【熱量】は、圧倒的だ。

 

今でも「Appetite for Destruction」を聞くとその疾走感に驚く。

スティーヴン・アドラーのドタドタした安定しないドラム。それまでの超絶テク・ギタリストとは一線を画す、スラッシュの歌心ギター。パンク上がり見え見えのダフのベース。前例のないアクセルの圧倒的なヴォイス。

バンド全体も押しては引く波のような独特のグルーヴを持ち、そのあたりが当時「メタル?パンク?」と評された所以であろう。それらすべてをロケットエンジンのような疾走感が引っくるめて暴走し、今となっては彼らの楽曲自体が起爆剤の体をなしている。

 

わたしは、当時の自分を探しに行ったんじゃない。

今の自分を見つめるために行ったんだ。そんな感じがした。

そして、もちろん当時のガンズじゃない。今しかない今のガンズに会いに行った。

 

そこには、20年以上の確執、不仲を乗り越え、笑顔でステージに立つアクセル・スラッシュ・ダフがいた。

絶対にオリジナルメンバーの再結成はない、そう思っていた多くのファンにとって、奇跡のツアー。そこには決して表向きだけではない、わだかまりを芯から融解したであろう彼らが、安心して大好きな曲を演奏する姿があった。

 

彼らが来日するかぎり、私は会いに行くだろう。

でもまた彼らのことだ、いつ離れ離れになるかわからない。

それに完璧主義アクセル、今のようなステージパフォーマンスができなくなったらもうツアーに出ないだろう。

 

そんなことを考えると、一つ一つが奇跡に思える。メンバーが全員ヤク中アル中を断ち、良い形で健康で今も音楽をやっていること。私たちが健康でライブを見に行けること。日本とアメリカが戦争状態ではなく、文化的な交流ができること。明日何が起こるかわからない世の中で、音楽を楽しめる気持ちを持てていること。

 

昔みたいに、「必ず来年も!」なんて思わない。また会えるまでには、2、3年はかかるだろう。

でもその時に、今回みたいに凄まじいステージを見せてくれたらいい。飛び跳ねて叫んで楽しめたらいい。

その日を楽しみに、今日からまた頑張っていける。

そんなバンドに出会えて、心底、幸せだと思う。

ありがとう、Guns n' Roses。ありがとう、このツアーに携わったすべてのひとたち。そしてありがとう、幼い子がいながら快く行かせてくれた、最高の家族。

 

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Assh - 流浪のファンタジスタ

昔から、身を削って音楽をするひとが好きだ。
身を削るように、ではない。身を削っていることがビシビシと感じられる音が好きだ。

同じように身を削って表現をするひとが好きだ。

今日書くのはそんな一人のこと。
彼の名は青木岳明。バーテンダーだ。皆、ASSHと呼ぶ。

ASSHはどんな人か、説明しようと頭のなかで言葉を組み立て出したが、彼を形容するには私の言語表現はありきたりで稚拙すぎ、無理であった。それくらいに彼は超越している。

ASSHのことを知ったのは2001年。西麻布AMRTAなどで修業を積み、代官山のラフェンテのすぐ近くで「∞」エイトマンというバーをやっていた頃だ。人を射抜きそうな鋭い眼光。ただ者ではないオーラを纏ったバーテンダーだった。

その後、六本木に彼が出した「Asshnka」には時おり訪れる機会があった。
ASSHの口からは、昨日の喧嘩沙汰から宇宙論まで、あるとあらゆる話がこんこんと泉のように涌き出てきた。とにかく頭が切れる、頭がいい。そのキレは、私が今まで出会った人のなかでもずば抜けていた。後に実は数学テスト全国1位、歯学科卒のエリートだと聞いたときは驚きより納得しかなかった。

天才的なバーテンダーで、国際的なコンクールでの受賞歴もある。Asshnkaではよく、八重泉ビール(八重泉のビール割り)を飲んだ。他に新作カクテルを試しに飲ませてもらったり、自家製のコーヒーウォッカや当時はレアだった梅酒「星子」を楽しんだりしたものだ。彼のお酒に対する真摯な姿勢は、究極にストイックでプロフェッショナルであり、妥協とは無縁だった。バースプーンを持ち、ステアを一度だけする。それだけで彼のライフポイントのいくつかが失われていく気がするほどに、彼の全神経は酒に注がれていた。

ASSHのまわりには、彼を愛するクリエイターたちが集っていた。音楽評論家の立川直樹、敏腕編集者の森永博志。知る人ぞ知るファッションカルチャー誌「DUNE」編集長の林文浩。たくさんのアーティストたちもだ。

底無しにお酒に強い彼は、一般的に言われる「お酒に強い人」10人分くらいを飲まないとベロベロにならないため、私はその姿を見たことがない。たまに武勇伝を聞くたび、この人よくそれで生きているなと思ったものだ。飲むものも量も違う。ハードリカー何本の世界だ。
当時ダーツが流行っていたけれど、酔わないとダーツが入らなかった。酔ったときの命中率は、プロを脅かすほど。国際大会まで出場し確か5位に入賞したときも、自家製のコーヒーウォッカを何本も持ち込んでの参戦だった。

完璧主義で強面なASSHだが、感受性の強い繊細さも特徴的だった。何かあると、飲み続け飲み続けそのうちどこかにふっと目の前から消えてしまう。どこで何をしているのかわからなくなる。

ASSHは朝起きているのかそれとも夕方だろうか、朝食にはパンなのかご飯なのか、お風呂に入ってボーッとするときもあるのか、そんなことを一切想像させない浮世離れした人だった。
この会っていない10年を経て私のなかのASSHはより現実味のない、まるでファンタジーの世界の住人のように感じられる存在となった。あまりに私のリアルとはかけ離れ、本当はASSHは存在しなかったんじゃないかと思うほどになっていった。

そんなASSHに、なんと昨日Facebookで再会した。
このネット社会の象徴であるようなFacebookでこのリアリティのないリアリティが戻ってきた気がしてとても、興味深い。

どうやら彼は自宅を改装して「昼のみ」「ジントニックのみ」のバーをやっているらしい。もう会えないかもしれない、もう会わないのかもしれないと思っていたが、そんなことを聞くとまたASSHのお酒を飲みに行かざるを得ない。
そう思わせる、バーテンダー。彼は自分を、BARTISTと呼ぶ。

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