The beat goes on -

フリーライターのブログ。三児の母。FWAフリーライター協会代表

2017年のガンズと私

ガンズ&ローゼス 日本公演

2017.1.29 さいたまスーパーアリーナ

 

もうすぐファン歴30年になる。

でも自分にとってガンズの何が特別なのか、考えたことはなかった。

それを考え始めたのは、ライブ前日のことだ。

 

世の中には多くの音楽がある。私だって数多くのバンドを聞いてきたし、数多くのジャンルを聞いてきたし、星の数ほどのライブを見てきた。

 

そんな中で、たどり着いた。

ガンズを測るのに相応しいのは、【熱量】という単位なんじゃないか。

 

1988年11月、洋楽の詳しい友達に「MUSIC LIFE」という雑誌が面白いよと教えてもらい、小遣い1000円の中から700円を捻出して買ったMUSIC LIFE 12月号。

表紙のなんだか悪そうなお兄さんたち。悪いことしているような、大人の世界を覗き見しているような気がして、親に怒られるんじゃないかとビクビクしながら買ったものだ(買った雑誌はしばらく隠して読んでいた)。

その号は、ガンズ特集だった。読めば読むほど破天荒でめちゃくちゃなメンバーの素行や、発言の内容がよくわからない酔っ払いのインタビューがたんまりと掲載されていた。中学にやっと慣れ羽を伸ばし始めた自分には、なぜかそれが次に開けるべき扉のように思えた。

 

そして、12月。新宿の駅構内にあった小さなレコードショップで、当時レコードもCDも高価で買えなかった私は「GN'R LIES」と書かれた輸入カセットテープを買った(ちなみにAppetite for Destructionもずっとテープで聞いていた)。

 

それから約30年が経つ、そう思うとクラクラする。

当時の幼い自分はもういないし、当時の破天荒なガンズももういない。

ただ当時も今も、ファンとガンズの間に爆発的に流れる【熱量】は、圧倒的だ。

 

今でも「Appetite for Destruction」を聞くとその疾走感に驚く。

スティーヴン・アドラーのドタドタした安定しないドラム。それまでの超絶テク・ギタリストとは一線を画す、スラッシュの歌心ギター。パンク上がり見え見えのダフのベース。前例のないアクセルの圧倒的なヴォイス。

バンド全体も押しては引く波のような独特のグルーヴを持ち、そのあたりが当時「メタル?パンク?」と評された所以であろう。それらすべてをロケットエンジンのような疾走感が引っくるめて暴走し、今となっては彼らの楽曲自体が起爆剤の体をなしている。

 

わたしは、当時の自分を探しに行ったんじゃない。

今の自分を見つめるために行ったんだ。そんな感じがした。

そして、もちろん当時のガンズじゃない。今しかない今のガンズに会いに行った。

 

そこには、20年以上の確執、不仲を乗り越え、笑顔でステージに立つアクセル・スラッシュ・ダフがいた。

絶対にオリジナルメンバーの再結成はない、そう思っていた多くのファンにとって、奇跡のツアー。そこには決して表向きだけではない、わだかまりを芯から融解したであろう彼らが、安心して大好きな曲を演奏する姿があった。

 

彼らが来日するかぎり、私は会いに行くだろう。

でもまた彼らのことだ、いつ離れ離れになるかわからない。

それに完璧主義アクセル、今のようなステージパフォーマンスができなくなったらもうツアーに出ないだろう。

 

そんなことを考えると、一つ一つが奇跡に思える。メンバーが全員ヤク中アル中を断ち、良い形で健康で今も音楽をやっていること。私たちが健康でライブを見に行けること。日本とアメリカが戦争状態ではなく、文化的な交流ができること。明日何が起こるかわからない世の中で、音楽を楽しめる気持ちを持てていること。

 

昔みたいに、「必ず来年も!」なんて思わない。また会えるまでには、2、3年はかかるだろう。

でもその時に、今回みたいに凄まじいステージを見せてくれたらいい。飛び跳ねて叫んで楽しめたらいい。

その日を楽しみに、今日からまた頑張っていける。

そんなバンドに出会えて、心底、幸せだと思う。

ありがとう、Guns n' Roses。ありがとう、このツアーに携わったすべてのひとたち。そしてありがとう、幼い子がいながら快く行かせてくれた、最高の家族。

 

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Assh - 流浪のファンタジスタ

昔から、身を削って音楽をするひとが好きだ。
身を削るように、ではない。身を削っていることがビシビシと感じられる音が好きだ。

同じように身を削って表現をするひとが好きだ。

今日書くのはそんな一人のこと。
彼の名は青木岳明。バーテンダーだ。皆、ASSHと呼ぶ。

ASSHはどんな人か、説明しようと頭のなかで言葉を組み立て出したが、彼を形容するには私の言語表現はありきたりで稚拙すぎ、無理であった。それくらいに彼は超越している。

ASSHのことを知ったのは2001年。西麻布AMRTAなどで修業を積み、代官山のラフェンテのすぐ近くで「∞」エイトマンというバーをやっていた頃だ。人を射抜きそうな鋭い眼光。ただ者ではないオーラを纏ったバーテンダーだった。

その後、六本木に彼が出した「Asshnka」には時おり訪れる機会があった。
ASSHの口からは、昨日の喧嘩沙汰から宇宙論まで、あるとあらゆる話がこんこんと泉のように涌き出てきた。とにかく頭が切れる、頭がいい。そのキレは、私が今まで出会った人のなかでもずば抜けていた。後に実は数学テスト全国1位、歯学科卒のエリートだと聞いたときは驚きより納得しかなかった。

天才的なバーテンダーで、国際的なコンクールでの受賞歴もある。Asshnkaではよく、八重泉ビール(八重泉のビール割り)を飲んだ。他に新作カクテルを試しに飲ませてもらったり、自家製のコーヒーウォッカや当時はレアだった梅酒「星子」を楽しんだりしたものだ。彼のお酒に対する真摯な姿勢は、究極にストイックでプロフェッショナルであり、妥協とは無縁だった。バースプーンを持ち、ステアを一度だけする。それだけで彼のライフポイントのいくつかが失われていく気がするほどに、彼の全神経は酒に注がれていた。

ASSHのまわりには、彼を愛するクリエイターたちが集っていた。音楽評論家の立川直樹、敏腕編集者の森永博志。知る人ぞ知るファッションカルチャー誌「DUNE」編集長の林文浩。たくさんのアーティストたちもだ。

底無しにお酒に強い彼は、一般的に言われる「お酒に強い人」10人分くらいを飲まないとベロベロにならないため、私はその姿を見たことがない。たまに武勇伝を聞くたび、この人よくそれで生きているなと思ったものだ。飲むものも量も違う。ハードリカー何本の世界だ。
当時ダーツが流行っていたけれど、酔わないとダーツが入らなかった。酔ったときの命中率は、プロを脅かすほど。国際大会まで出場し確か5位に入賞したときも、自家製のコーヒーウォッカを何本も持ち込んでの参戦だった。

完璧主義で強面なASSHだが、感受性の強い繊細さも特徴的だった。何かあると、飲み続け飲み続けそのうちどこかにふっと目の前から消えてしまう。どこで何をしているのかわからなくなる。

ASSHは朝起きているのかそれとも夕方だろうか、朝食にはパンなのかご飯なのか、お風呂に入ってボーッとするときもあるのか、そんなことを一切想像させない浮世離れした人だった。
この会っていない10年を経て私のなかのASSHはより現実味のない、まるでファンタジーの世界の住人のように感じられる存在となった。あまりに私のリアルとはかけ離れ、本当はASSHは存在しなかったんじゃないかと思うほどになっていった。

そんなASSHに、なんと昨日Facebookで再会した。
このネット社会の象徴であるようなFacebookでこのリアリティのないリアリティが戻ってきた気がしてとても、興味深い。

どうやら彼は自宅を改装して「昼のみ」「ジントニックのみ」のバーをやっているらしい。もう会えないかもしれない、もう会わないのかもしれないと思っていたが、そんなことを聞くとまたASSHのお酒を飲みに行かざるを得ない。
そう思わせる、バーテンダー。彼は自分を、BARTISTと呼ぶ。

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